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 03.平瀬城跡と熊倉の渡し 

みちくさ、寄り道、さらに道も間違えたりしますので、なかなか先に進めません。(笑)

国道19号に出て「熊倉の渡し」に向かう途中、平瀬の集落で「平瀬城址」の看板を見つけました。読んだ本(何の本だかもう覚えていませんが)の中で武田信玄の信濃侵攻 で平瀬城が出てきたなぁ〜と記憶がありました。城跡まで20分とありますので、ま、そのくらいなら寄り道しましょう、そうしましょう、と行ってみました。
道は細くて谷筋では崩れた場所があり、後半の10分は急な登りが続きます。それでなくとも最近は体がなまっていて坂道は息が切れるのでふうふう言いながら 登りました。やっと登った山の頂上には石垣の跡も城の面影もな〜んにもありませんでした。ただ、見晴らしは非常に良かったです。

平瀬の石仏群。右、平瀬城跡へ。↓

平瀬城跡の案内看板。↓

山頂の平瀬城跡。↓

ただ、見晴らしは非常に良く松本平から安曇野までが一望でした。戦略的には重要な地点だったんだろうな!ということは偲ばれます。すぐ下には犀川が流れ、 これから訪れようとしている「熊倉の渡し」から豊科にむかう塩の道も眼下にみえました。

アルプスと安曇野。↓

眼下に見える「熊倉の渡し」。↓

当時はおそらく山越えよりも川越えが大変であったろうと推測します。平地を歩く他の2ルートは、梓川と奈良井川を越えなければなりませんでしたが、このルートは 犀川の一ヶ所だけです。養老坂という厳しい山越えがあるけれど最短で松本に行けるこのルートは便利だったのだと思いました。
「熊倉の渡し」は、今はもうありませんが、昭和の30年代まで実際に活用されたとありますが漕ぎ手がいなくなり徐々に衰退したそうです。

昭和25年頃の「熊倉の渡し」。↓

対岸の「熊倉の渡し跡」を望む写真を載せて今回はここまで・・です。↓

つづく・・・。

 03.平瀬城跡と熊倉の渡し 

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